平成15年6月28日、有馬孝禮先生の退官記念講演会・祝賀会に参加させていただいた。「かわることとかわらぬもの」はそのときに配布された本である。先生の半生を振り返ってまとめられた本であるが、その表題としてこの言葉が選ばれている。退官によって先生の立場が変わることと、これからも先生の思いが変わらないことを併せた言葉と勝手に勝手に解釈している一方で、木材を研究してきた先生であるからこそ節目に相応しい言葉として選ばれたのであろうと理解している。
現代社会の尺度の中では、変わる事、即ち材料の性質が変化していくことは短所として認識しがちで在る。作り上げたものが年月と共に変わり朽ちて行く。この自然の摂理の中で暮らす人間が、人間のエゴによって変わらない物を求めてゆく。果たしてそれは正しいことであろうか。
実世界に現存するものにおいて変化しないものは無く、変化しないように見えるものは変化するのが遅いだけである。空想・観念の世界では、実在できないがゆえに変化しないものがある。例えば数学、「点は位置情報だけを持ち長さを持たず、線は長さを持ち面積を持たず、面は面積を持ち体積を持たず...」、実世界には存在できないものである。
では、木材を使った伝統的木造建築が変わらない様に見えるのはなぜなんだろうか。
答えは「維持」。全体として変わらないように、部分的に変わってしまった部分を交換して基に戻す作業をし続けているためである。この維持を止めれば自然由来の木材は、土に水に空気に変化していくであろう。
現代社会の尺度、合理化の行き着く先に究極の形があるとすれば、その形から先に変わる必要はないだろうが、その形に到達するためには変わる必要がある。変わらないものには進歩も退化もない。
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2003/10/30森林総合研究所 本所敷地内で撮影 |