架け替え最終年度の錦帯橋を、着工直後に訪れることが出来た。
雨に煙る錦帯橋は、いささか落ち着いた味わいを醸し出しているが、新しく架け替わった部分と今回第3期工事で架け替わる部分の間には明らかに色味が違っていた。架け替わった新しい部分は明るい白木の色であるが、約50年を経た部分は黒ずんでいる印象である。平成3年に錦帯橋を模して作られた 木曽の大橋 は架橋から13年になるが、白木で造られた面影は感じられない。
木材が長く日光に浴びて風雨にさらされることで色を変えていくことは自然のことであり、ただの客観的な事実である。木材の色味や見た目が変わっていくことは当然のことであり、受け入れざるを得ない事実である。
白木は見た目が綺麗で新しいことの証明ではあるが、建造物のデザインとしては違ったことを考えなければいけないと思う。建物は建てたときだけのものではなくて、使い続けていくものである。デザインもそにある間、存在し続ける期間全てを考えて作られるべきであろう。特異な外観の建物や新築時の見た目だけを重視した建物は、人間社会の多様な経済活動の中では許容されることとも言えるだろうが、本来あるべき姿は違ったところにあるのではないだろうか。見た目の外観以外にも作りやすいからと選択された構造ディテールが、不具合を生じやすいものであったり、それが元で想定外の変形が進むなど見た目がすぐに変わったりしているのではないだろうか。
変わることが避けられない事実であるならば、変わらないように頑張るだけではなく、変わった後の姿に思いを巡らす方法もあるはずである。物を作る人全てがそうであるように、自分の作ったものを、大切に長く使い続けてくれることは大きな喜びである。